植物は感じている

gardengirl

TRINITY 016.12.18 掲載

〜植物は今ここにある全てを感じています〜

植物は愛そのものです。 ただ、愛でいることだけをしています。 私たちは愛されて、今ここにいます。

植物に隠し事はありません。いつでも感じるままの素直な自分でいます

我が家のリビングで生き生きと葉を広げるウンベラータ。
大きくなりすぎて時々剪定をするたびに切った枝を水につけて、根が出たところで鉢に植えて、新しいウンベラータが生まれます。

この10数年間でいく本の子供達が生まれたのか覚えていないくらい子供達があちこちに旅立って行きました。

木は、切ったところから再生します。
小さな枝だろうとなんだろうと、いく度でも本来の自分に戻ります。
親木はリビングに収まるように常に選定しているので、いつの間にか子供の方が大きくなっていたりします。
私たちも、いく度でも再生します。
いく度でもゼロから再生できることを植物は教えてくれています。
古いエネルギーをすっかり脱ぎ捨てて、新しい自分を構築することができるのです。

季節は移り変わり、冬が見えるようになったこの頃。
今朝は車のフロントガラスが凍り、解凍に時間がかかるようになりました。
今日は長野に向かっています。
車窓から見える山々は、秋の始まりの頃には鮮やかだった夏の緑の山が緑色を失い、代わりに黄色やオレンジが現れているのを見ながら、自然の色はどこから生まれてくるのだろう、誰が彩っているのだろうなどと思いを馳せながら見ていましたが、今はすっかり色をなくし、茶色がかったグレーに染まっています。

植物は感じています。
今ここにある全てを感じてここにいます。
そこに寒さがあるなら、寒さを感じています。
ただ、私たちのように寒さに感情を結びつけることはありません。
例えば、寒い! ああいやだなあといったように。
ただ、あるがままの寒さを感じています。
その感じている状態が、この茶色がかったグレー色の状態。

植物は今ここにある全てを感じています。
感じていることを隠すことはありません。
植物に隠し事はありません。
いつでも感じるままの素直な自分でいます。

水が足りない時は水が足りないと全身で現し、土壌が豊かな時は全身で満ちている状態を現し、太陽の光を浴びている時は、太陽の光を浴びている時の喜びそのものになっています。
植物は、感じているそのままです。

私たちは植物を見ると心が癒されますが、それは植物が自分を飾らず、大きく見せず、あるがままだからなのだと感じます。
植物は自分を隠さない。
植物は今この瞬間、感じているあるがままを生きています。

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そこに感情を結びつけることなく、あるがまま受け入れている存在です

我が家からあちこちにもらわれていくウンベラータは、元気な状態でもらわれていきますが、
よその家に行くと元気を失います。
それは、今までと違うエネルギーを感じているからです。

その場のエネルギーに馴染むまで、優しく撫でて静かに見守ってあげてください。
無理にたくさんの肥料をあげたり水を与えないでください。
植物は感じています。
新しいエネルギーに馴染む時間をゆっくり与えてあげてください。

私たちも環境が変わると、落ち着くまで少し時間がかかります。
今までの環境と違う場所、光、温度、エネルギーなどを全身で感じています。
新しいエネルギーを全身で受け入れている状態が元気のない状態です。
体を調整しているのです。
私たちが風邪をひく時、体はバランスのとれた状態を取り戻すために熱を出して免疫力を高め、いらないものを排出するため様々な活動が起きますが、そんな時は具合が悪く寝込んだりします。
調整している時は具合が良くない状態と言えるのです。

私たち人間は感情を持つ生命体です。
感じていることに同時に感情も使います。
痛みがあれば嫌悪感を現したり、暑い時はやる気がないと感じます。
植物は違います。
痛みがあれば、ただ痛みを感じます。
暑い時はただ暑さを感じます。

人間が怒りをもってそばにいたら、植物は、ただ怒りのエネルギーを感じます。
人間が苦しみをもってそばにいたら、植物は、ただ人間の苦しみのエネルギーを感じています。

植物はあるがままを感じています。
そこに感情を結びつけることなく、あるがまま受け入れている存在です。

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植物は、あるがままの自分を現すことをしたいのです。飾らず、虚栄もなく、 自分の中に湧き上がる命を楽しんでいるのです。

人は古代から、植物によって生かされてきました。
私たちが息をすることができるのも、植物が酸素を生み出してくれているからです。
植物の繊維から頂いた服を着て、布の色も植物から染料を得てきました。
樹木の体から頂いた木で家を建て、植物を食べて生かされています。
私たちがいただくのは野菜だけでなく、牛や豚もいただきますが、それらは草を食べて体を作っているように、私たちの体を構成している主なものは植物です。また、植物から頂いた紙を使って様々な仕事をこなしたり、薬もまた植物から得るものでした。
人が生きる上でなくてはならないものは植物です。

植物は気前よく自分の体を私たちに捧げてくれています。
文句一つ言わずに数千年も与え続けてくれています。
植物は愛そのものなのだと感じます。

あるがままに全てを受け入れ、ただ愛でいることをしている。
そんな植物に、心からの感謝と尊敬を感じずにいられません。

以前、バクスター実験が世間を騒がせたことがあります。
嘘発見器をつけたドラセラが、犯人を知っていたことが話題になりました。
誰がやったかわからないように、数名がドラセラのある部屋に入り、そのうちの一人がドラセラの葉をむしって切り刻んだのですが、そのあと、一人づつ部屋に入った時に、葉をむしった人に対して、ドラセラは激しい反応を現わしたものです。
植物は記憶しているということが話題になりました。

記憶しているとも言えると思いますが、ドラセラは、葉をむしって刻んだ人の中にあった記憶を
あるがままに感じ取って、痛みの反応を起こしたのだと思います。
植物が恐れの反応を現す存在だとしたら、人間が起こした戦争に恐れを現し、種を芽吹かせることなく眠りに入ってしまうかもしれません。

今ここで痛みを感じている人がいるとしたら、その人の痛みに対して、痛みを感じると反応しますが、痛みはここにないけれど、その人が過去の痛みを思い出しているとしたら、やはり、その痛みのエネルギーに反応するのだと思います。

植物には過去や未来といった時間の認識はなく、今この瞬間しか存在しないのだと思います。
今この瞬間、感じているものそのものになるのだと思います。

もしも植物が、これまで人間が植物に対してしてきたことを記憶しているとしたら、今ここに自然はなくなっているかもしれません。
あるがままに今この瞬間感じるものだけになっているからこそ、人間がこれほどまでに自然を破壊してきているのに、植物はただ、自分自身の命を表現することだけにエネルギーを注いでいるから、自然はいつも溢れんばかりに湧き上がってくるのです。

植物は、あるがままの自分を現すことをしたいのです。
飾らず、虚栄もなく、自分の中に湧き上がる命を楽しんでいるのです。

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与え続けてくれる植物に私たちがお返しできることは、植物に意識を向けること

自然はかけがえのないものです。
物は何度でもいくつでも作り出すことが得きるかもしれないけれど、人が自然界を作ることはできません。

私たちは自然界に生かされています。
自然が失われたら、私たちも生きていくことができません。
惜しみなく自分の命を与え続けてくれている自然界に私たちは感謝することなく、さらに奪おうとしていないだろうか?
もっとも大切にしたいものは自然です。
自然を軸にして、私たちは暮らしを考えることをこれ以上遅らせたくありません。

植物は感じています。
人が自然を敬うことを忘れたなら、自然は力を失っていきます。
私たちは自然の一部です。
植物は私たちの関心に反応します。
人が自然は素晴らしい、美しいと思うなら、植物はそれに答えます。

与え続けてくれる植物に私たちがお返しできることは、植物に意識を向けることです。
植物は感じています。私たちの思いをそのままに。
自然は素晴らしい、かけがえのないものだと私たちが思うなら、植物はあるがままを感じ、そうなります。
木を植えたり、植物を植えたり素晴らしい活動をされている方々に心からの感謝を捧げます。

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植物は本当に素晴らしい存在です

人は目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、口で味わい、手で触れます。
植物に私たちのような五感を感じる部位が見つからないけれど、植物にとって、全身が目であり、耳であり、鼻であり、口であり、手なのです。
私たちの体のような限られた部分でのみ感じるやり方ではなく、植物は全身でそれをしています。

音楽をかけると野菜が大きく育つのは、音楽を聴くとともに、自分たちに音楽を聴かせたいと思う愛情を感じています。
朝日を見る目がなくても、朝日とともに葉や花が開き、日没とともに葉や花を閉じていきます。
ツルは、やみくもに支えになるものを探しているのではなく、どの方向にツルを伸ばすと良いかを見ています。
根は水のある方向を知っていて、触手を伸ばしています。
種もまた、間違うことなく根を伸ばす方向と、芽を出す太陽の方向を知っています。
子供の頃に遊んだ触れると葉を閉じるオジギソウは、風が強く吹いて葉を揺さぶってもその葉を閉じません。
閉じるのは人が指で触れた時だけです。

植物は全身が感覚器官です。
その感覚は人間の感覚をはるかに超えています。
植物は本当に素晴らしい存在です。
植物は今ここにある全てを感じています。

植物は愛そのものです。
ただ、愛でいることだけをしています。
私たちは愛されて、今ここにいます。
今までもずっとそうでした。
人が自然に対して行ってきた全てをあるがままに受け入れながら、
それでもなお愛のままでい続けてくれる存在です。
あなたはあるがままに愛されています。